やっぱり過程がだいじ?

さいきん、料理をしました。

18歳のころ、サークル合宿でBBQの準備をするためにニンジンを切ったのですが、その場にいたみんなに恐怖心を与えてしまった&こいつには料理をさせたくないと思わせてしまい、そこから名誉挽回するのはとっても面倒で恥ずかしかった(その噂がとても広まったから)こともあって料理をしない生活を選択してきた。わたしは実家暮らしだし、母が食事を用意できないときは家庭的な姉がわたしの健康を意識しながらバランスの取れた食事を用意してくれた。

 

 

甘えに甘え、わたしは21歳になってた。

 

むかしから面倒な道のりがきらいで、結論はどうなるかわからないのに道のりの部分を重視していろんなことから逃げてきた。

 

そしてつい最近、母にそのことを痛いほど突かれた。

つらいことから意図的に逃げてきたわけではないけど、若いのに挑戦しようとする勇気がないらしく、母にはもったいなく見えているらしい。料理に限らず。

 

 

たしかに。

 

最初は「わたしはやりたいことだけを選んできたの!」と強く返していたけど、だんだんよくわからなくなって、たしかに❝無理っぽい❞ものからは逃げてきたかもしれないことに気が付いた。上には上がいて、わたし程度の努力で誰よりも強い力なんて持てない、というのが基本的なわたしの考え方。これたしかに、文字にしてみるとめっちゃもったいない。でももう21歳だ。気が付いたら、自由な時間はあんまりなかった。わたしはもうすぐお金を稼ぐために働かないといけない。わたし、どこかで道を間違えた?

 

 

それで、とにかく、出来ないと決めつけて逃げてきたことを片付けてみようと思って、料理をしてみたわけです。2年のとき塩顔イケメンがHemingwayのbig two hearted riverを読んで、料理という行為を『感情と理性のバランスをとるもの』と言っていたし、姉は『無心になれるから』と言って料理をしていたので、被害妄想をぐちゃぐちゃ考えるこの頭を整理するため、そして包丁さばきが下手でみんなに笑われるのは嫌だけど、いつまでも母親に甘えないで生きるために料理をした。友だちにクックパッドでレシピを探してもらって、玉ねぎのみじん切りに20分くらいかけて(翌日左手が玉ねぎクサくて死ぬかと思ったのですがあれはどうしたらいいんですか?)、わたしも『料理』してみた。

 

 

 

ほかにも出来ないことが山ほどある。

一生懸命描いたスヌーピーの顔の要素をごましおと言われたり、ムーミンを茄子と間違われたりするし、、あと驚くほど数字に弱い。

 

いつ、どんな世界に飛び込んでもいいように、だいたいのことはまんべんなく出来るひとでいたい。むずかしい。過程が素晴らしいから結果はどうでもいいなんて、今後大人になって言ってくれるひとは絶対いないと思うけど、結果も過程も面倒くさがらずに挑戦できたらいいなあ‥。